ディック・プライス(エサレン研究所共同創立者)がよく言っていたことに、
「プロセスを信頼する」
「プロセスに従う」
「プロセスの邪魔をしない」
という言葉があります。
これを実践するには、
ここで言っている「信頼する」こと、
そして「プロセス」のそれぞれを定義することが必要です。
まず、「信頼する」とは何でしょうか?
GAPではそれを「自分の席に座る」ことや、
リピーティングインクワイアリー(問いかけ)によって探求できます。
皆さんは、どんなときに信頼を感じますか?
これまでの経験の中で、信頼について何を知っているでしょうか?
自分の記憶を思い出すことでも、探求することができます。
そして、「自分を信頼する」とはどういうことでしょうか?
自分を信頼するときに、
どのように、すでに信頼しているのでしょうか?
またどのように、信頼していないのでしょうか?
それは恐れや疑いと関係があるでしょうか?
「信頼」自体を探求するということは、
「信頼しない」ということや、
「恐れている」ということも含めて、何もかも探求できるということです。
「trustworthy (信頼に足る人)」という表現があります。
それは他者についても、自分自身についても使える言葉です。
私たちが人に対して「信頼できる」と言うときは、
「この人は真実を言うから」「この人は優しいから信頼できる」など、
自分の体験に基づくことがあります。
また、誰々を「あてにできる(count on)」ともよく言います。
では、私たちは「自分自身」をどのように信頼できるのでしょうか?
まず、
「信頼 (trust)」「期待 (expect)」「願望 (Hope)」
について探求する必要があります。
私たちが「信頼」と言うとき、実は「期待」している場合が多々あるのです。
つまり、相手が自分の期待に合わないときに、
「この人は信頼できない人だ」と言っているのです。
GAPでは「プロセスに従う」「邪魔をしない」といいますが、
例えば、GAPのなかに「気づきのコンテュニュアム」というワークがあります。
いま起きていることに向き合う」という練習です。
体の感覚や衝動など、一瞬一瞬のすべてに気づき、あるがままと出会うということです。
それこそが、「プロセスを信頼する」ということに関してのひとつの定義になります。
GAPでは、すべてを含みます(inclusion)。
文字通り、「すべて」を含むんです。
もし何かを信頼していない場合は、
その「信頼していない」というプロセスを、信頼するということです。
ディックは、「ゲシュタルト・プラクティスでは、
自己防御(defenses)、それ自体も尊重する」と言いました。
「プロセスに従う」ということは、
「不信(信頼していない感覚)」があらわれたときには、
その不信をも尊重することを含むのです。
信頼
不信
恐れ
防御
それをも信頼するということです。
プロセスを信頼する
プロセスに従う
そのプロセスで出てくることは、すべて同等に扱います。
とにかく、すべて..気づくことすべてが、信頼に含まれるのです。
そうやって不信とともにいることが、信頼するということなんです。
GAPには、負けや失敗はありません。
いま、何とともにいるかに気づくだけだから、対象が何であってもいいのです。
そしてもし可能なら、それに向きあってみる、ということです。
ークリスティン・プライス
ゲシュタルト・アウェアネス・プラクティス(GAP)講師