「避けること」とは

ゲシュタルトの中では、「避ける」というのは、かなり大きなキーワードです。ゲシュタルト創始者のフリッツ・パールズも、「避けることで成長が止まる」と言っていました。
フリッツ・パールズは避ける対象として特に痛みのことを言いましたが、私はすべての対象を避けることができると考えています。

私たちはそれぞれ避けるということに非常に長けているので、自分なりのテクニックを磨いてきていると思います。「一緒にいる・共にいる」ということと、「避ける」という両極の間にはスケール(尺度)があり、その間にそれぞれのやり方があるわけです。「避けることで成長が止まる」とは何なのか、その真実を一部でも探求できたらと思っています。

かといって、じゃあ全てに対して避けずに向かっていけばいいのかと言うと、そういう意味ではありません。ここでの「避ける」という意味は、「全く選択肢がない状態を作っている」「癖になっている」という意味です。または恐れに関係していて「向き合っていない」あるいは「感じていない」、もしくは「それと共にいるための支えや土台がない」ということにも関係しています。

なので他に選択肢がない時には、避けるという行為が対処する方法の一つではあります。そういう意味では選択肢として持っていることは大切なんです。
例えば人生のある時期に選択肢が全く無く、避けることが最良の選択肢だった時もあると思いますが、だからといって今でもそれが最良の選択肢とは限らないという場合があります。

なのでここで「避ける」ことを見るのは、それを選択肢の一つとして持っていながら、他の選択肢も見るという意味があります。つまり習慣として、癖として、避けてしまうのではない状態にしたいのです。なぜかというと、私自身の体験や色んな方とプラクティスしてきた経験からも、避けるということには非常にエネルギーや生命力を使うからです。

なのでどこかの段階で「本当にそれを避けている必要があるのか?」を見直す・再検討するということが必要なのです。もちろん避けることで得られていることが何か思い浮かぶかもしれません。ですが避けることで対価として払っているもの、失っていることも見る必要があります。

わかっていただきたいのは、避けることが必ずしも悪いという風にはしたくないということです。単に「今もベストな選択肢なのかどうかを、もう一度検討する」ということなのです。

ークリスティン・プライス(2020/7/24 GAPワンデーより)