なおそうとするのを、やめる

GAP で強調しているのは「ただ共にいる」という質なのですが、これは何かが起きたり、見ているときに「オープンに見ている」「心を開いている」という状態を表していると思います。

何かをしようとするのをやめる・・癒そうとしたり、早送りしたり、治そうとするのをやめるというのも、GAPのこの質をよく表現していると思います。現代社会では「何かをしている」のが良いとされている現実があります。しかし実は「受け止める」ということはただ受動的なのではなく、能動的でアクティブなことであり、自ら関わっていくことです。

そして何かを受け止める、 抱きとめるということは、それを変えようとすることとも違います。GAPで何かを受け止める、ただ共にいる時は、触れる・コンタクトをするのであって、「こうしてやろう」とか「変えよう」というアジェンダがあるわけではないのです。大事なのはそこに「ただいる」ことであって、「受け止めれば何かが起こるでしょう」というささやかな期待も混じってないということです。受け止めるというのは取引では無いのです。

みなさんも思い当たるかもしれませんが、はっきりとは言われてなくても、やり取りの中になんとなく取引めいたことが匂うことがありますね。自分に対してケアしている時でも匂うことがあります。例えばジムに行って、「これだけ運動したら、私のこの部分は良くなるよね」という感じです。そういう期待がある。

これは例えに過ぎませんが、自分自身をどのように扱っているかに関わってきます。この有機体としての体をどう扱っているかにも関係あります。

特に自分が考えていることのほうが、実際の体験よりも優れている、上回っていると思っている人が多いので、体験を自分の形に合うように思考で形作ってしまうということが起きます。もちろん癒しとか、何かの形を作ることが重要な時もあります。ただ、癒しと名前のついた行為が何かを拒絶したり、失くそうとしたり、コンタクトすることを避けている場合はちょっと違ってきます。

どんな体験であっても、単なる物や物事としては見ないということ。その一方で、癒すという行為の対象として捉えることもしないことです。

私にとって「ただ受け止める」ということは、何かと出会ったとき、そのものと自分が同じ位置にいるということです。どちらかがが上になることも下になることもなく、ありのままで出会う。それが私の言うコンタクトの質です。

ークリスティン・プライス(5/30 GAPオンライン・ワンデーより)

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